【旅】長岡まつり大花火大会|戦火に散った魂を慰霊する哀しくも美しい花火~新潟県長岡市~
どうも、YUMIO@名古屋です。
※昨夜久々にベッドで6時間爆睡して
ようやく体調回復いたしましたわ。
“平均睡眠時間2時間”の
過酷なスケジュールが始まったのは、
先週金曜日、8月3日のことだった。
東京へ向かい、上越新幹線に乗り換えて長岡へ。
※ちなみに、上の写真は『はやぶさ』『こまち』『とき』が
大集合したなかなかレアな写真でございます(鉄子かっ!)
▲東京~長岡間は約2時間。この『長岡』駅から
タクシーで10分ほど。信濃川にかかる大手大橋と
長生橋一帯が【長岡まつり大花火大会】の会場となる。
花火大会というと、真夏の楽しいイベントというイメージだが、
実は長岡の花火はちょっと事情が違っている。
長岡は、第二次世界大戦中の1945年8月1日に
米軍による大空襲を受け、壊滅的な被害を受けた。
その被害者の魂を慰霊する 『戦災復興祭』として
大空襲のちょうど1年後、
1946年8月1日に 最初の花火大会が催されて以来、
毎年必ず8月1日に前夜祭、
2日・3日に花火大会が開催されることになっている。
集客が見込める土日にかけて日程調整したりしないのも
地元のひとたちの鎮魂の想いの表れなんだとか。
▲夜7:30、日没直前の夕暮れの中で花火大会がスタート。
特にイス席は、高齢者の方の足腰への負担が少ないため
毎年人気のゾーンで、チケット入手が困難なんだって。
※今回は”花火博士”のカンちゃんのおかげで入手!
▲信濃川周辺には高層の建物がなく河原が広いのも特徴。
そのため、花火との距離が近く、
正三尺玉などの特大花火が打ち上げられる点も人気の理由だ。
※ちなみに長岡の花火は日本三大花火のひとつに数えられ
秋田の大曲、茨城の土浦と並び人気花火大会となっている。
▲う~む、写真だけではその迫力が伝えきれないな~。
途中、途中、ウゥ~~~~~~という
『空襲警報』のようなサイレンが鳴ったあとに
大きな花火が打ち上げられる瞬間があった。
空襲警報のあとの特大の花火・・・
あまりにも美しい風景なのに
警報音が耳の中に残って
胸がしめつけられるような哀しさが襲ってくる。
地元のおじいちゃん、おばあちゃんの中には
その瞬間、涙を流しながら手を合わせる人も居た。
自分も知らないうちに泣いていた。
花火を見て涙が出るなんて・・・初めての経験だ。
▲大会の締めくくりは復興祈願花火の『フェニックス』。
新潟県中越沖地震と東日本大震災の復興を願い、
平原綾香の『ジュピター』をBGMに
特大花火が一斉に打ち上げられる。この瞬間、もう号泣!
▲そして、花火の打ち上げが終わったあとは、
観客から花火師さんへの感謝の気持ちを表すために
一斉にペンライト(持っていない人は携帯電話の光)が振られる。
まるでコンサート会場のような光の瞬きの中で、
長岡の花火大会は終了する。
本当に感動した。
名古屋から長岡まで向かうのは
なかなかハードな移動距離になるけど、
日本人として、一生に一度は見ておきたい花火であります。
カンちゃん、プロデュースありがとうね!
また来年も行きたいな。
http://nagaokamatsuri.com/index.html
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本日の〆の一枚
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▲『花火博士』のカンちゃん(中央)。
左からおっくん、我が母・ふのり、あたち、てらもっちゃん。
2012年夏の楽しい思い出ができましたっ!ホントありがと~。
福岡由美住宅ジャーナリスト・住宅ローンアドバイザー・FP技能士・ラジオ構成作家
大手生命保険会社OLからラジオレポーターに転身、
自身のマンション購入をきっかけに住宅ライターとしての活動をスタート。
現在は、東京・名古屋を拠点に住宅専門家・住宅ジャーナリストとして取材・執筆を行う。
旧『なごやのねたや』ブログ改め、『Yumioのネタ帳』では仕事のこと、恋愛のこと、
結婚のこと、加齢への抗いや日々の不平・不満・愚痴・蘊蓄など、いろいろ綴っていきます。